酒と本

健忘症の備忘録

一九八四年

ジョージ・オーウェル、高校生は知っているかもしれない名前だ。

なぜなら、現在高校1年生が使っているコミュニケーション英語の教科書であるelementに名前が出てくるからだ。とはいえ、科学技術の進歩とその扱いに関しての文章だったので、彼の作品については言及されていない。残念。

 

さて、私はSFを読むことも多いのだが、一番のお気に入りはフィリップ・K・ディック。特に好きなのは「高い城の男」と「ユービック」だ。

感情移入して読み進めていくと認知があいまいになっていく感覚がたまらない。

 

それはそうと「一九八四年」だが、正直最初はあまり期待していなかった。

ディストピアもののSFが好みではなかったということもある。*1

しかし読んでみると、さすがは20世紀最高峰のディストピアもの、読後感が悪く、最高に面白かった。

ネタバレを避けるため、詳しくあらすじは述べないが、「ビックブラザー」率いる党の全体主義的近未来には「テレスコープ」「Room101」「Doublethink」「Newspeak」など、全体主義を彩る要素が満載だ。

 

その中でも「Doublethink」「Newspeak」は興味深かった。

簡単に言うと「Doublethink」は相反する事象に矛盾を感じなくさせることであり、「Newspeak」は語彙を減少させることで複雑な思考をさせなくすることである。

 

私たちは今のところは全体主義国家には属しておらず、強制的に「Doublethink」しろとは言われていないのだが、SNSなどをで情報をあまりに多く受け取り、取り入れることで、それを反芻することなく、自己を確立できていないのではないだろうか。

そうして自身の考えに対する一貫性を失っていないか。

矛盾を矛盾として認識できていないのではないか。

 

「Newspeak」だが、ソシュール記号論を思い浮かべた。

「我々は言語を用いて世界を認識している」というのが乱暴な説明だ。

つまり語彙の減少は世界の減少と言える。

例えばゲームをしない人は、PS5もニンテンドースイッチセガサターンPCエンジンも区別がつかないかもしれない。その人は「ゲームの世界」が認識できないといえる。

私たちは氾濫する情報を扱いきれず、自分の世界だけの言葉を集めて世界を狭くしているのではないか。

 

 

…小難しいことを書いたが「一九八四年」は何度も読み返したくなる本であった。

酒は安いジンで、肴は特になし。

 

以下に気に入った部分を引用する。

「誰かほかの人に、って口走っている時は、本気でそう言っているのよ」と彼女は言った。

彼も本気でそう言った。それを口にしただけではなく、心底それを願ったのだ。心底願っていた、自分ではなく彼女をそこに……

 

(中略)

 

彼はその情景を頭から締め出した。それは偽りの記憶なのだ。彼は時折、偽の記憶に悩まされた。その記憶の正体がわかっている限りは、別に問題はない。実際に起こったこともあれば、起こらなかったこともある。

 

 

 

*1:なら「チグリスとユーフラテス」が好きなのはどう説明するんだ?という話になるが。本当は好きなのかもしれない。