酒と本

健忘症の備忘録

19歳 一家四人惨殺犯の告白

最近は小説だけではなく、ノンフィクションもよく手にするようになった。

大量のニュースに埋もれてよくわからないままになっている様々な事件に今更ながら興味がわいてきたのかもしれない。

と、偉そうなことを言うが実のところは旅行中、バスや電車での移動時間に読む本として駅の近くの書店で購入したものだ。*1

 

1992年*2、千葉県市川市で一家四人が19歳の少年によって惨殺される事件が起こった。犯行に至るまでの生い立ちから事件までの行動と死刑確定までを、面会と書簡を通じて明らかにしようとする。事件の詳しい内容はWikipediaで。

 

私が犯人に対して感じたのは、『ただ今しかない』という感じで生きているな、ということだった。母子家庭で苦労した少年時も、フィリピンパブの女性と結婚した時も、その場の快・不快で物事を判断しており、過去がどのように今に影響を及ぼしているか、これからどのようになるかを考えていない。

裁判を受けて収監されている最中でさえも、事件があくまでも過去のものとして認識されている。

自分の感情で最も近いのは他人とけんかをしてカッとなっている時だろうか。ずっとこんな気持ちで生きていたら、さぞかし生きづらかったと思う。もちろん犯人のことは理解できないけれど、私だっていつ怒りに身を任せてしまうか分かったものではない。そんな時にこの本のことを思い出せればいいなぁ。

コーヒーでも飲みながら落ち着いて読みたい。

 

以下に気に入った部分を引用する。

「みっともないんです」

ーみっともない?

「そうです。みっともないんです」

ーだれに対してみっともないんだろう。

「いや、だれに対して、というわけではありません」

ーでは、ああいう事件を引き起こした自分が、人間としてみっともない、ということですか。

「いや、そうじゃありません。ただ、みっともないと……」

ーそうすると、みっともないことした自分を直視するのがイヤだということになる。みっともない自分を正面からとらえないで、反省しても仕方ないと思います。

 

この後、ほんの一瞬だが、ガラス板の向こうの光彦の顔に怒気が浮かんだ。顔面がスッと白く染まる。初めて見せる、感情の発露だった。唇を歪めて語る。

 

「そんな、隠しておきたい自分を見つめて、何の意味があるんですかねぇ」

 

(中略)

 

「なかったことにして欲しいんです」

ーなかったこと……

「ええ、チャラというか、すべてがなかったことになればいいのに、と思います。関光彦は、この世にいなかった、ということになれば一番いい。早くこの世から消えていなくなりたいんです。これ以上、生きていても仕方ありません。早く済ませてほしいんです」

ーあなたの存在そのものをゼロにしたいのですか。

「そうです」

 

 

*1:体力があったころは仕事が終わると深夜バスに乗り、1泊2日で旅をして回っていた。今は環境的にも体力的にも無理になっている。

*2:この時私は小学校低学年、事件を覚えていない。刑事事件に関するニュースはオウム真理教事件ぐらいから記憶にある。