9・11倶楽部
馳星周は私の中で「直木賞に最も近い作家」として数年来認識され続けている。候補には上がり続けているのだが。ルノワール小説の旗手であり、多くのフォロワーが多い作家であるにもかかわらず、なかなか直木賞を受賞できないでいる。
バンドでいえば、Rushのような存在であろうか。しかし、彼らは2013年にロックの殿堂入りをしたので、その点ではイメージに合わないか。そういった意味ではIron Maidenが近いものがあるだろう。
…と、話がそれてしまった。
読書に興味がなくとも、どこかで耳にしたことのあるタイトルであろう。
ゲームであれば「龍が如く」のシナリオ監修も初期には行っていたので、こちらで馳星周の名を知った人も多いかもしれない。*1
しかし「不夜城」にしても「龍が如く」にしても、主人公はアンダーグラウンドの人間か引退した裏稼業の人間であることが多く、感情移入という点では難しい部分があったのも事実である。
ルノワール小説とはそういうものだ、と言ってしまえばそれまでであるが、私としては「9・11倶楽部」のような、市井の中で鬱屈した感情を持って暮らしている主人公を題材としたもののほうが好みである。
主人公は救急救命士・織田。彼は地下鉄サリン事件という未曽有のテロにより妻子を失っている。その反動もあり、新宿に暮らす8人の少年たちを救おうと奮闘する。彼らは戸籍を持たない子供たちであり、難病を抱えても病院に行けないような暮らしをしている。
当初は自分の生活の破綻がない範囲の中の優しさなのだが、彼らのおかれた状況の『理不尽』を目の当たりにするにつれ、織田の中で意識は変わり始める。犯罪行為にも手を出し始め、最終的には『理不尽』を生んだ元凶への復讐に協力をするようになる。
その復讐は明らかにテロ行為である。
自分自身の生活を捨ててまでテロに走るなどというのは愚かだ、と考えるのは簡単だ。しかし『孤立』と『精神的な依存対象』が目の前にあるとき、はたして我々は状況への復讐をしないでいられるだろうか?
私には思いとどまる自信があるとはいえない。
テロという、今までは対岸の火事であったものが、現実的な危機として意識され始めた現在において非常に興味深い一冊であることは間違いないだろう。
酒はウイスキーのストレート。肴はなしで。
以下に気に入った部分を引用する。
なぜだ?なぜだ?なぜだ?ありとあらゆる身体のパーツが喚いていた。
なぜこんなに苦しまなければならない?都庁が何だというのだ。見ず知らずの少年たちなど放っておけばよい。
いやだ。わたしは応じる。いやだ、いやだ、いやだ。理由など知ったことか。いやなものはいやなのだ。
わたしは家族が欲しかった。妻と子を愛し、妻と子から愛され、その愛の中で老いさらばえてもなお、日だまりの中にいるような温かさを感じていたかった。
突然の、無慈悲で圧倒的な暴力がわたしのささやかな夢を奪っていった。あの日から、わたしはわたしであることをやめた。新しい家族を築くことに背を向け、キャリアを捨て、ただ自分の忘念が命じるままに生きてきた。
だが、わたしはあの子らに巡り会った。わたしと同じように、権力という名の無慈悲な暴力に家族を奪われ、しかし、わたしとは違って新たな家庭を作りあげ、健気に生きてきたあの子らと出会ってしまったのだ。