チグリスとユーフラテス
私が読書を始めたのはSFからである。
いわゆる、SF御三家の一人である星新一のショートショートがたまたま学校の教科書に載っており、興味をひかれたのである。
きっかけはSFでも私はSFファンとはいえない。
なぜなら、千冊ものSF小説を読んでいないからである。
ちなみに青背とはハヤカワ文庫SFの背表紙が青いものだそうだ。
しかし今でも、時代小説、ミステリの次にはよく読むジャンルといえる。
そんな中で、私のSF小説最高峰といえば、この「チグリスとユーフラテス」になるだろう。
作者は新井素子。
第20回SF大賞受賞作である。
文庫本の解説は大沢在昌。
遠い未来、宇宙に移住した人類には生殖機能の欠如した人間が増殖するという問題が生じる。
そしていよいよ、最後の一人が誕生し、その子はルナと名付けられる。
最後の人類となったルナは、滅びゆく惑星に一人残される。
一人残されたルナは、一人ずつコールド・スリープについていた人々を目覚めさせ始める。
そして遂に、移住惑星の創始者を目覚めさせるのだが…。
種とは何か、個と全とは一体何なのか、ひいては生きることとは何なのかを考えさせられる作品である。
コールド・スリープについている人々は不治の病を抱えている。
ある意味ではコールド・スリープをすることによって未来の人類に期待をかける人々といえよう。しかし目覚めてみれば、そこにいるのは人類最後の人間。彼らの落胆たるや想像を絶するものがある。
彼らはルナとの交流を通して、自分自身または人類という存在について考える事となる。
SF小説には一種の教訓めいた側面がある。
科学技術や倫理観の進歩に伴って我々は失うものがあるという物語が多い。
自然の脅威から逃れるための科学技術や倫理観が、生き物としての強靭さを失わせてしまうというパラドックスを感じさせる。
便利に生きることは楽である。しかし、それが種としての目的にかなっているかは誰にも保障できないのである。
もちろん、種の保全のみが生きる者の目的とも思えないのだが。
SF小説にはこのようなある種の哲学的な力がある。
何のために生きるのかという人類の持つ永遠のテーマについて考えさせてくれるのである。
酒はカクテル、甘いものでいい。できれば人工甘味料を感じさせてほしい。肴はナッツ類などであろうか。
以下に気に入った部分を引用する。
「あたしは、最初っから、人生の意義なんて信じちゃいなかった。そりゃ、人生に意味があればいいなーとは思っていた。あるのが理想だとも思っていた。けど……意味の全くない人生だって、充分ありだって、知ってた」
「……あの……レイディ……もっと訳がわからなくなったんだけど……」
「”人生に、意味なんてない”。あたしは、それを、知ってる。最初から、知っていた。でも、あたしは、生きてきたし、生きているし、これからも、生きてゆく。……これは、そういう話なのよ」
「とてもはっきりしている処から、話しましょうか。……あのね、人はね……死ぬのよ」
~中略~
「しかも。なのより凄いことに……人は、自分が、”死ぬ存在”であることを、知っているのよ」
「それ……凄いこと、なの?」
「うん、多分。多分、とても凄いことなの」