酒と本

健忘症の備忘録

蒲生邸事件

宮部みゆきの作品を本棚に収納しようと思うと、なかなか大変である。

まず著作が多いこと、そして面白いものが多いためである。

どの作品から残していくべきか、非常に悩ましいものがある。

火車」「模倣犯」「ソロモンの偽証」「魔術はささやく」…時代物も捨てがたい「ぼんくら」「あんじゅう」「本所深川ふしぎ草紙」「孤宿の人」…。

書庫なんてものを持っていない庶民には、そのすべてを読める状態で保管することはできない。比較的読み返す頻度の少ないものを段ボールに詰め、押し入れにしまいこむか実家に送る。そして、忘れたころに同じ本を買い込んでしまう訳である。

 

 

そんな日本の住宅事情に合っていない作家宮部みゆきであるが、私が初めて読んだ作品は「蒲生邸事件」である。日本SF大賞受賞作。

 

予備校の受験のために上京した主人公・孝史は2月26日にホテル火災に巻き込まれる。その惨事の中でタイムトラベルの能力を持った男に救助され、その結果、昭和11年に連れて行かれることになる。

そこは二・二六事件直前の東京であった。

100年未満という比較的近い時代の重大事件の割に小中学生の学習では語句しか述べられず、説明すらない二・二六事件を題材に「昭和の人々」と主人公の交流を平易な文章で生き生きと描いている。

我々は満州事変からポツダム宣言までは暗黒の時代、忌むべき過去として切って捨てているのだが、そこに暮らす人々がおり生活をしていたことをも同時に切って捨てているのだろう。

この小説では昭和11年に生きる人々は穏やかで誠実に生きている。

人が生きること、誠実に生きること、よりよい未来を信じて生きることは過去も未来も関係ないのである。

歴史を評価するということが何なのかを、主題の中にそっと忍ばせているようにも感じる。

 

文庫としては分厚い678ページであるが、宮部みゆき作品だけあって読みやすく、読後感も上々。テーマは重厚でも基本的にはハッピーエンドが多い作者なので気軽に読める。上記に歴史観に関して述べたが、うがった見方をしなければ気にならない。

酒は日本酒を常温で、肴は昭和初期っぽく干し柿や、甘栗の渋皮煮。

 

 

以下に気に入った部分を引用する。

「そのときにこそ、私も許されるかもしれない――そう思った」

私と、時間旅行者の私がしてきたことのすべてが許されるかもしれない。すべての悪あがき、すべての間違いが許されるかもしれない。そして私は人間になれる。まがい物の神ではなく、ごく当たり前の人間に。歴史の意図も知らず、流れの中で、先も見えないままただ懸命に生きる人間に。明日消えるかもしれない自分の命を愛せる人間に。明日会えなくなるも知れない隣人と肩をたたいて笑い合う人間に。それがどんなに尊いことであるか知りもしないまま、普通の勇気を持って歴史の中を泳いでいく人間に。

どこにでもいる、当たり前の人間に。