髪結い伊三次捕物余話 幻の声
5編の短編集となっている。
捕物「余話」となっているように、捕物自体が重要ではなく、
主人公・伊三次を中心とした、人間関係などに主眼が置かれている。
当時の雰囲気もよく伝わり、読後感が非常に良い。
伊三次が江戸の下町で、精一杯、男の意地を張り通していることに勇気づけられる。主に金銭の絡んだ状況下*1だけに、親近感もひとしおである。
読み終わった後に「明日も、せいぜい仕事を頑張ろうか」と思わせてくれる。
伊三次には、お文という恋人がおり、彼女は深川で芸者をしている。
彼女も芸者としての意地を持ち、それが伊三次との諍いの元となることもある。
収入もお文のほうが多く、そのこともまた伊三次を悩ませる。
伊三次がそのことで悩むとき、ふっと、奥方の収入が自身の2倍以上あるという同僚の顔が思い浮かぶ。彼の寂しげな苦笑いが伊三次と重なって見えたりするのである。
酒はぬる燗で甘口を3合程度。肴は下魚の干物が合う。
下戸の伊三次に合わせて、酒でなく、葛餅などもいいかもしれない。
以下、身につまされる部分の引用。
「おれァ……何も盗られておりやせん。何も何一つ……」
いなみの柔らかく暖かな手が伊三次の手に重ねられた。いなみの声が弾んでいた。
「ありがとう伊三次さん、わかってくれて」
「銭があれば株はいつでも買えます」
「そうですよ、伊三次さんは若いのですもの、きっとその内に株は買えますとも」
「銭さえありゃあ、済むことです」
剛毅に言い放って、けれどなぜか伊三次は泣けていた。
*1:当時の成熟した文化が、現在の経済的に成熟した社会とリンクし、身につまされる。